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本郷の一言

「熊本こころ相談室」の本郷ひろなか先生が心理学に関する話題を随時更新します

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「熊本こころ相談室」にてチーフカウンセラーを務める本郷ひろなか先生は熊本市内各所で開催しているアドラー心理学や心理カウンセリングに関する講演やセミナーで講師を担当、アルフレッド・アドラーの孫弟子にあたるジョセフ・ペリグリーノ博士からは「私の大事な友人にして弟子であるヒロよ。」と呼ばれる程の絶大な信頼を寄せられているアドラー心理学者のひとりです。本ページでは機能不全家庭で過ごし心理的虐待を受け続けた過去から自ら立ち直った経験のある本郷ひろなか先生が、同じく様々な問題や悩みを抱え苦しんでいる方たちのための一言を綴っていきます。
アドラー心理学にご興味をお持ちの方や鬱 (うつ) 、パニック障害、不登校、引きこもり等で心理カウンセリングをご希望の方は「熊本こころ相談室」までお気軽にお問い合わせくださいませ。

2017年01月20日

本郷ひろなかの「嫌われる勇気」解説5 ライフスタイルを変える

本郷ひろなかの「嫌われる勇気」解説 第5回目です。 ライフスタイルを変える

 

さて、哲人と青年の話は、怒りの話、感情の話から、ニヒリズムの話になっていくのですが、

 

アドラー心理学ほどニヒリズムから離れているものはないでしょう。

 

だって「たとえ不治の病になっても、死ぬまでの時間を嘆き悲しんで無駄に過ごすこともできれば、明るく周囲の人々に感謝して、家族や友人たちと他の良く過ごすこともできる。」と主張するくらいですから。

 

感情だって、否定しているわけではなくて、私たちは感情をコントロールできるし、怒りのような不幸な感情を使う癖を直して、親密な感情や穏やかな感情のような幸せになれる感情を使う癖を身につけましょう。と主張しているだけなのですから。

 

私本郷ひろなかのお師匠様であるジョセフ・ペルグリーノ博士と何度もお会いして親しく話させていただいて、すごいなと思ったのが、ペルグリーノ博士が、一度も不機嫌になられないことでした。

 

いつでもユーモアたっぷりで、機嫌良くて、温かくわれわれの話を聞いてくれました。

 

で、一度博士に聞いたのです。「ジョセフは、生まれつきそうなの?」と。

 

すると博士は、「とんでもない。私は、たくさん努力して、こういうライフスタイルを作り上げたんだよ。ヒロも自分の理想的なライフスタイルにすることが出来るよ。」と。

 

そうなのです。人生なんていつでも変えられる。性格だっていつでも変えられると考えている時点で、ニヒリズムの対局なのです。

 

原因論で考え、過去に決定されていると考えるから、ニヒリズム的になっていくのです。

 

自分の自由意思、決定権を信じましょう。

 

「大切なのは何が与えられてるかではなく、与えられたものをどう使うかである」アルフレッド・アドラー

 

「何が与えられているか」に執着すると、遺伝や過去や環境に支配されてしまいます。自分の自由意思は使わないということになります。

 

でも、実は子どもの頃(哲人は10歳前後と言っています)に、自分の自由意思で「ライフスタイル」=「意味づけの方程式」を選択したのだ。自分で決めたのだ。ということに気づくと、

 

じゃあ。自分で決めたんだから、決めなおすことが出来る。選択しなおすことが出来る。ということになっていきます。

 

子どもは、遺伝の影響や、目の前に繰り広げられる生育環境を前にして、自分ていうのはこういう存在なんだ(自己概念)とか、人間(他者)っていうのはこういう存在なんだ、だからこの世はこんなところなんだ(世界観)とか、だから、私はこうなりたい(自己理想)という思い込み=意味づけを選択します。

 

そして、この思い込み=意味づけをもとに人生を生きて行く作戦を立てるようになります。

 

これが、その人のライフスタイルになります。

 

子どもの頃ですから、環境などの影響を大きく受けて思い込みを選択するでしょう。遺伝や環境の影響を否定しないのです。だから、アドラー心理学のこの考え方を柔らかい決定論と言うのです。

 

さあ。多くの人は、子どもの頃選択したライフスタイルを変えたがりません。むしろ、積極的に維持しようとします。大きな抵抗感を感じるのです。

 

ライフスタイルを変えるとはどういうことか?それは未知の人生を歩むことなのです。真っ暗な洞窟を歩いて奥に進むようなものです。

 

それよりも、人は、慣れ親しんだいばらの道を歩くことを選択するのです。

 

子どもの頃選択したライフスタイルを使えばどうなるかは嫌というほど経験しています。とても慣れ親しんだ道なのです。

 

その慣れ親しんだ道を歩くことを捨てて、勇気をもって未知なる洞窟の奥に進みませんか?そこに幸せがありますよ。

 

と私たちアドレリアンは提案するのです。

 

 

2017年01月20日

本郷ひろなかの「アドラー心理学を生きる」12 私がうつ状態だった時

本郷ひろなかの「アドラー心理学を生きる」第12回です。

 

今回は、アドラー心理学がしっかりと私にしみわたる前、うつになっていたことを書きます。かなり恥ずかしい過去を書きます。

 

アドラー心理学を生きる1
アドラー心理学を生きる2
アドラー心理学を生きる3
アドラー心理学を生きる4
アドラー心理学を生きる5
アドラー心理学を生きる6
アドラー心理学を生きる7
アドラー心理学を生きる8
アドラー心理学を生きる9
アドラー心理学を生きる10
アドラー心理学を生きる11

 

20代の頃、初めてのクラス担任をし始めた頃、最初のうつ状態になりました。当時は、自分がうつ状態になっているという自覚がありませんでした。

 

今分析すると、中学校でクラス担任を始めたのですが、まったくうまく行きませんでした。

 

もうあまり覚えていませんが、生徒相手に、かんしゃくを起こして叱ったり、自分のことを延々と威張ったり、比較して比べたり、生徒との約束を破ったりしていましたから、そりゃ、生徒にしてみたら、嫌な先生だったに違いありません。

 

男子生徒とはまだましだったのですが、女子生徒たちから総スカンを食らってしまいました。無視されたり、言うことを聞いてくれなくなりました。

 

それに、同僚の先生たちとのコミュニケーションも下手で、同僚の先生に対して感情的になることもあったし、事務的な仕事も滞るようになった来ました。まあ、事務的な仕事が滞るようになったのには、うつ状態の影響もあったと思うのですが、事務的な仕事をきっちりと仕上げること自体がもともと苦手でした。

 

生徒たちからの悪評と、PTAの事務的仕事を滞らせたことと、それを責任転嫁したこと、部活の大会参加の手続きでいくつかの大失敗をしてしまったこともあって、保護者からの評判も最悪になって、気の強い保護者は、直接文句を言ってきたり、「クラス担任から外れろ」というような圧力もありました。

 

すごいストレスを感じるようになった私は、うつになっていきました。

 

まず、夜寝れなくなりました。大量の飲酒をして寝るようになりました。それでも朝早く目が覚めました。

 

食事が味がしなくなりました。砂を食べているようで、一か月で12,3kgも体重が一気に減りました。

 

仕事の約束をすっかり忘れたり、友人との約束も忘れて反故にしたり、業者に「きょう店に来ますね。」と約束していたのに、すっかり忘れて家に帰ってビールを飲んでいたり、

 

覚えているけど、引き延ばしをしたではなくて、まったく意識になくなって、忘れて反故にしていました。

 

私の意見に過ぎないのですが、うつ病という病気はないと思っていますので、過ストレス状態で、処理が出来なくなる状態にして、その過ストレスから逃げようとしていたのだと思います。

 

何とか克服できたのは、のちに妻となる人との出会いと、病院に行って薬を飲んだりしなかったことと、同僚の仲間の助けがあったことでした。やはり、仲間は大事です。

 

のちに妻となる人は、私の話を色々と聞いてくれて、共感してくれて、「あなたは大丈夫よ。」と言ってくれました。

 

そのクラスを次の年は担任させないような圧力があったのですが、色々と相談していた年配の学年主任の先生が「担任は頑張っている。次の担任も本郷先生でないとダメだ。」と全力でかばってくれました。

 

違う学年を担任していた同僚は、私の持っていたクラスの次の学年の候補にされていたのですが、この同僚も、「本郷先生は頑張っている。次も本郷先生が担任すべきだ。」とかばってくれました。

 

そのおかげで、次の年も担任を持ちました。

 

私が担任になったことで「担任おろし」の圧力が弱まったこともあって、私自身も新学年で心機一転頑張ろうという気になって、うつは一気に解消したのでした。

 

共感して「大丈夫よ」と言ってあげることや「本郷先生は頑張っている。次の担任も本郷先生でないとダメだ。」というように、ありのままに認めてあげることを、アドラー心理学は「勇気づけ」と呼びます。

 

実は、アドラー心理学は勇気づけに始まって、勇気づけに終わるくらい、勇気づけの心理学なのですが、

 

まだ、私は、アドラー心理学は学んでいなかったのですが、妻と、同僚の勇気づけによって救われたのです。

 

しかし、追い込まれるとうつ状態になるというのは私の良くやる作戦だったらしく、その後もうつ状態になりました。なぜなら、妻と同僚たちの勇気づけのおかげと、圧力がなくなったおかげで、うつ状態は脱しましたが、「ライフスタイル」(人生のシナリオ、人生のプログラムのようなもの)はそのままだったのですから。

 

続く

2017年01月19日

本郷ひろなかの「嫌われる勇気」解説4 人は怒りを捏造する

アドレリアン本郷ひろなかの「嫌われる勇気」解説 第4回目です。

 

「人は怒りを捏造する」なんとまあ、扇情的な言い回しでしょう。

 

「トラウマは、存在しない」もそうですが、物語の中に引き込ませるために、わざと扇情的な言い回しを使っているようです。

 

批判しているわけではありません。「嫌われる勇気」(ダイヤモンド社)のおかげで、人びとはアドラー心理学に目を向けてくれたのですから。

 

ただ、青年が主張するように、「感情というものが衝動としてどうしようもなく噴き上げてくるものだ。」という説は、アドラー心理学は明確に否定します。

 

「本能的衝動」や「感情」が吹きあがってきて、なんとかそれを「理性」で抑えようとして、うまく抑えられるときもあれば、抑えられなくて行動に出る時もある。

 

世間の人は、このように理解しているのではないでしょうか?

 

これは、言葉は「イド」「エゴ」「スーパーエゴ」などの言葉を使いますが、フロイト精神分析的な、人間の精神はいくつかの部品で出来ていて、構造を作っている、そして部品同士で葛藤していて、葛藤の結果行動として現れるという考え方とよく似ています。

 

アドラー心理学は、人の精神がいくつかの部品で出来ていて、それらが独自の動きをして、ぶつかり合って葛藤を起こすという説を明確に否定します。

 

アドラーは、フロイトと一緒にやっていた「精神分析学会」の会長を辞して(アドラーが会長をしていたのです。)、

 

仲間たちと脱退して、新しく作った自分たちの心理学の名前を「indevidual psychology インディヴィデュアル心理学」と付けました。

 

直訳しちゃうと個人心理学なのですが、「indevidualインディヴィデュアル」という言葉には、「分割できない」という意味を持っているので、個人心理学という訳語はちょっと不適切だと私は思っています。

 

つまり、アドラーは、人の精神は部分や部品に分かれてなんかいなくて、ひとまとまりになって、機能していると主張したのです。

 

だから、感情もある相手役に対して何らかの目的をもって、作って使うと考えています。

 

お母さんが、宿題をしない子どもに怒って「早く宿題をしなさい。」と怒鳴っていたとしたら、そのお母さんは、子どもに支配的に宿題をさせるために、怒りを作り出して、怒って怒鳴っている と解釈します。

 

自分の主観的な意味づけの中での理想的な異性が表れて、その異性に近づきたいなあという目的(意図)を持ったら、「好き」という感情を作り出し、「好き」という感情をエネルギーに積極的な行動に出ていきます。

 

理想的だと思っていた異性が、とても幻滅するような行動や態度を見せたので、この人から離れたいなという目的(意図)を持ったら、「嫌い」「嫌悪感」という感情を作り出して、その感情をエネルギーに離れていきます。

 

狭い路地を歩いていて、向こうからやくざ屋さんかな?と思えるような雰囲気の男が三人横になって歩いてきたら、自分の安全を確保したいという目的を持ったら、「怖い」という感情を作り出し、横道に逃げていきます。

 

このように、私たちは瞬間的に感情を作り出して使ったり、あるいは我慢したりします。(相手に怒りを感じても我慢する人は多いものです。でも、この場合も自分が怒りを作り出しています。)

 

しかし、その感情の前に私たちは、ある意図=目的をもっています。瞬間的だから気づいていないだけです。

 

この青年の例もそうです。

 

コーヒーをこぼしたウエイターに対して「怒鳴って懲らしめたい」という意図=目的をもって、怒りを作り出して、怒鳴ったのです。

 

瞬間的に作り出すので、衝動として噴き出すように感じる人がいるのは、分かりますが、間違っています。

 

感情は出し入れ可能な道具だし、自分のライフスタイルでやっているいつもの作戦を変えて、アドラー派のカウンセラーやSMILE勇気づけの親子・人間関係セミナーのようなアドラー心理学のプログラム学習コースから習った新しい作戦を使うと、

 

怒りじゃない穏やかな感情を使えるようになります。

 

例えば、大事な電話をしていたら、自分の子どもが横で大騒ぎするので、電話が聞こえないので、「うるさい。そんなに騒ぐと大事な電話が聞こえないだろ。黙ってろ。」と怒っていた人が、

 

大騒ぎをしている子どもに、「今、パパは大事な話を電話でしてるんだけど、キミにそこで騒がれるととても困るんだ。しばらく静かにするか、離れたところで遊んでくれないかな?」と理由を説明して、穏やかにお願いするように、行動変容することが出来ます。

 

これは、感情が相手役に対して、ある目的をもって、自分が創り出している道具だ。と主観的な意味づけを変えるから、

 

新しい作戦を学んで使えるようになるわけです。

 

目的論で考えると、混沌がこのようにシンプルに整理されてきます。

 

私たちアドラー派のカウンセラーは、クライエントさんの認知=意味づけが、幸せな意味づけになるように援助するのです。

2017年01月19日

本郷ひろなかの「嫌われる勇気」解説3 原因論を否定する

本郷ひろなかの「嫌われる勇気」解説 第3回目です。

 

哲人が、原因論で考えるから「人は変われない」ということになってしまうのだ。と言います。

 

原因論というのは、過去の成育環境が原因で、今の人格が出来上がったという決定論のことです。

 

一般的な心理学で言うところの「遺伝と環境の輻湊説」のことです。

 

人の性格や人格は、原因である遺伝と環境の二つの複雑な絡み合いで決まってしまうという説です。

 

人の自由意思とか自己決定権を否定する考え方です。

 

そりゃ。人の自由意思や自己決定権を100%否定すれば、原因論は成り立つし、「人は変われない。」ということになるでしょう。

 

遺伝と環境の原因に人は支配されているわけですから。

 

わたしには納得いきませんし、アドラー心理学は、「遺伝や過去の成育環境は影響であって、どういう性格になるか、どういう人格になるかは本人が決定する。」と思っているのです。

 

遺伝や環境の影響は否定しません。

 

でも、自由意思や自己決定権の方がずっと大きいと思っているのです。アドラー心理学の思想です。

 

解説1で出した例なのですが、

例えば、向こうから、良く知っている女性が近くまで寄ってきて笑いました。

 

Aさんはバカにされたと思って、「なに、俺の顔を見て笑ってんだよ。このやろ。」と怒って怒鳴りました。

 

Bさんは、「あら、Hさん、今日は機嫌良さそうだね。何かいいことあったの?」と笑い掛けました。

 

Cさんは、「ああ。また女が俺に惚れたか。」と思って「何だい。Hさん、私に何か用かい?」と格好つけました。

 

このように、「良く知っている女性が近くまで寄ってきて笑った。」という出来事を、必ず主観的な意味づけを通して認知するのです。

 

実は主観的な意味づけの傾向は、たいていは無意識的なもので、しかも、一つ一つが無意味に意味づけているのではなく関連されて、一つの物語として、一つの方程式として、その人の性格を決めています。

 

例えば、Aさんは、人が笑った時だけでなく、よく感情的になって人ともめてしまう傾向があるかもしれません。

 

アドラー心理学では、この意味づけの方程式のことを、変えられるという意味合いを込めて、人生を生きて行くのスタイルという意味で、「ライフスタイル」と呼んでいます。

 

いわば、その人が人生を生きて行くうえでのプログラムのようなものです。私はよく「人生のプログラム」のようなものですよ。と説明しています。

 

アドラー心理学は、人は子どもの頃(8歳頃と言われています)遺伝の影響を受けて、子どもの頃の環境を目の当たりにして、自分てこういう存在なんだ、この世はこんなところなんだ、こういう目的で生きて行くぞ、というような主観的ない意味づけの方程式(ライフスタイル)を決定すると思っているのです。

 

遺伝や環境の影響は大きいです。特に子どもですから、生育環境からの影響は大きいと思います。

 

でも、「こういう意味づけの方程式(ライフスタイル)を使って生きて行くぞ。」と決めるのは本人なのです。

 

本人が決めるから、本人が変えることが出来るのです。

 

そして、アドラーは、自らのカウンセリングで、多くの人々がライフスタイルを変えて、神経症や精神的な病を治して、幸せになっていくのを実践して見せたのです。

 

ライフスタイルの中には、その人がよく使う作戦が入っています。そして、その作戦には必ず目的があるし、人は何らかの行動をするときに必ずある目的を持って行動します。

 

だから、哲人は、原因論で考えることをやめて、目的論で考えることをすすめたのです。

 

哲人は、自室にこもりっきりになっているという神経症を、その友人が、ライフスタイルをもとに作り出した作戦で、その作戦には目的があるのではないかという視点を示したのであって、

 

だから、本人が勝手にやっているのだから放っておけという冷たい突き放す見方ではありません。

 

私の所にも、神経症で困っている人がたくさん来ますが、きちんと10数回通ってこられた方々は例外なく神経症を克服されていきます。

 

アドラー心理学カウンセリングは、神経症で困っている方のライフスタイルも幸せなライフスタイルに変えることで、その人が神経症を克服し、幸せになるのを確実に援助するのです。

 

また、哲人が否定したのはトラウマが症状の原因だ、トラウマのせいで今の性格になったんだという原因論を否定したのです。

 

多くの人々が「トラウマ」と呼んでいる、思い出すとつらい気持ちになるような記憶を持っていることを否定しているのではありません。

 

過去の私を含めて、思い出すとつらい気持ちになる記憶を持っている人はたくさんいます。

 

哲人はそれを否定したわけではないのです。

 

アドラー心理学が否定しているのは、トラウマ原因論、過去の原因に人間が支配されてしまうという、決定論なのです。

 

思い出すとつらい気持ちになる記憶は、ある目的をもって記憶を保持しています。ですから、無意識的なその目的を意識的に理解していくことと、ライフスタイルの作戦を変更していくことで、

 

辛い記憶も楽になっていきます。

2017年01月19日

本郷ひろなかの「嫌われる勇気」解説2  心理学?哲学?

アドレリアン本郷ひろなかの「嫌われる勇気」解説 第2回目です。

 

さて、「嫌われる勇気」の著者の岸見一郎先生は、ギリシャ哲学がご専門です。そして本の中でも、哲人がアドラー心理学は私にとって哲学だと言っています。

 

これは、私にとっても理解できます。

 

なぜならば、もともとアドラー心理学は、アドラー心理学を「真理を追究する科学」だとは考えていないからです。

 

真理を追究するために、次々と仮説を提唱して発展していくのが科学なのですが、

 

解説1でも、われわれアドレリアンは、自分たちの意見を「真理だ。」「正しい。」と主張して、違う意見の人たちと争う趣味はない と書きました。

 

なぜかというと、アドラー心理学を真理を追究する科学だとは思っていないからなのです。

 

私たちは、アドラー心理学のことを、人間が幸せに生きて行くための思想とそれに基づく実践的な技術とで構成された 実践学だと思っているのです。

 

人びとが幸せに生きて行くためにちゃんと役に立てばいいのであって、真理かどうかなんてどうでもいいのです。

 

ですから、「工学」や「建築学」により近いかもしれません。

 

例えば、明治時代に日本の各地に石の眼鏡橋をかけて回った、種山石工という熊本の石工集団がいるのですが、

 

彼らにとって大事なのは、丈夫な眼鏡橋をかけて、その眼鏡橋のおかげで人々が便利に生活していくことです。

 

同じように、アドラー心理学にとっても、大事なことは、アドラー心理学の思想と技術が、人びとが幸せに仲良く貢献し合って生きて行くための常識=コモンセンス(共通感覚)として普及して、社会がより民主的になり、人びとが争うことなく、仲良く貢献しあって、みんな幸せに生きて行くことなのです。

 

エレン・ベルガ―の「無意識の発見」という著作があるのですが、フロイトやアドラーなどの無意識を発見した4人の業績とその思想を紹介しています。

 

そして、アドラー心理学について、「共同採石場」というニックネームを付けています。

 

それは、だれでも、アドラー心理学の思想や技術を「これはアドラー心理学のモノを参考にしました。」と言わないで、勝手に使っているというのです。

 

それは、アドラーが「わたしの名前を誰も思い出さなくなるときがくるかもしれない。アドラー派が存在したことすら、忘れられてしまうかもしれない。」そしてそれでもかまわない、と言ったことと関係しているかもしれません。

 

アドラー心理学が目指しているのは、アドラー心理学の思想と技術が人々の常識になることなのです。

 

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