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本郷の一言

「熊本こころ相談室」の本郷ひろなか先生が心理学に関する話題を随時更新します

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「熊本こころ相談室」にてチーフカウンセラーを務める本郷ひろなか先生は熊本市内各所で開催しているアドラー心理学や心理カウンセリングに関する講演やセミナーで講師を担当、アルフレッド・アドラーの孫弟子にあたるジョセフ・ペリグリーノ博士からは「私の大事な友人にして弟子であるヒロよ。」と呼ばれる程の絶大な信頼を寄せられているアドラー心理学者のひとりです。本ページでは機能不全家庭で過ごし心理的虐待を受け続けた過去から自ら立ち直った経験のある本郷ひろなか先生が、同じく様々な問題や悩みを抱え苦しんでいる方たちのための一言を綴っていきます。
アドラー心理学にご興味をお持ちの方や鬱 (うつ) 、パニック障害、不登校、引きこもり等で心理カウンセリングをご希望の方は「熊本こころ相談室」までお気軽にお問い合わせくださいませ。

2019年01月16日

トラウマは人を成長させてくれる PTG心的外傷後成長(動画あり)


トラウマになるようなつらい体験は、人を挫折させるのではなくて、向かい合うことによって人を成長させてくれるのです(あくまで、最終的にはです。)。※アドラー心理学では「トラウマ心的外傷」と呼ばないのですが、一般常識に合わせて理解しやすいように「トラウマ」と表記しています。

 

実は、どんな体験を経ても人が成長できるということは、アルフレッド・アドラーの時代から言っていたのですが、最近では、一般の心理学でも、「PTG」(ポスト トラウマティック グロース=心的外傷後成長)という呼び方で、研究されてきました。

 

人がつらい体験の後で、様々な困難に直面しながらも、最終的に人格的に深みを増して成長することが出来るということは、アドラー心理学では元から常識だったんです。
「夜と霧」の著者ヴィクトール・フランクルは、アウシュビッツ収容所での凄絶な体験を経て「それでも、人生にYESと言う」と言いました。さらにはその後自分の心理学を進展させますが、彼は亡くなる2年前に心理学雑誌の記者の「あなたのやっている心理学は、アドラー心理学なんですか?フランクス心理学なんですか?」という質問に答えて、「私は、今でも、自分のやっている心理学はアドラー心理学だと信じている。」と答えています。

 

どのような体験をしても、それを建設的に生かすのは本人の力だと信じているのが、アドラー心理学なのです。

 

交通事故体験や戦争体験や犯罪体験のような強烈なつらい体験をした人が、最初は心身の異常やフラッシュバックのような体験の後遺症とも言えるような症状に悩まされていても、その後、その体験と前向きに向き合うことによって、逆に人格的に成長していくことが多数観察されて、それが、近年研究されて、「PTG」(心的外傷後成長)と呼ばれるようになって、周知されてきたのです。

 

PTSD心的外傷後ストレス症候群と呼ばれるような症状を示す人がたくさんいますが、それは、途中経過に過ぎないのです。

 

トラウマがあるんだから、どうしようもない。とか

 

直らない。とか

 

勘違いしないでください。

 

どんなつらい体験でも、必ず克服して、乗り越えることができます。どんなつらい体験でも、意味があるのです。

 

ただ、「誰だってトラウマなんて克服できるんだよ。」というような軽い、簡単な道ではありません。また、人によって違う道を通ります。傷つき、悲しく辛い道を、行ったり来たりして、未来に進んでいくのです。

 

あなただけが、あなたの心と体の主人なのです。

 

あなただけが、あなたの人生の、あなたの未来の主人なのです。

2019年01月12日

自分の思いを伝える勇気(動画あり)


自分の思いを伝えるのが困難な人がいます。

 

例えば、「イヤ!」と断れない人がいます。

 

誰かに要求されたことに対して 「NO!」「イヤです!」という意思表示をすることは、

 

自分らしくあるための 自分で自分の人生を自分で作っていくための

第一歩のことがあります。

 

「NO」と言わないのは、もめるのが避けたいのかもしれません。嫌われたくないのかもしれません。

 

もめても大丈夫になれとは言いません。嫌われても大丈夫になれとも言いません。そういうことは避けたい気性なのでしょうから。

 

「NO」の伝え方を工夫すればいいのです。もめないような言い方を工夫すればいいのです。嫌われにくいような言い方を工夫すればいいのです。

 

もちろんそれらの言い方を工夫しても、「いやです。」と伝えるのに、非常に抵抗感を感じるかもしれません。

 

しかし、「NO」と言えないことで、窮地に陥っているのであれば、断る勇気を振り起して(心理カウンセリングや心理セラピーの必要があるかも)、言い方を工夫してみて、言う練習をして、実際に「NO」と言ってみるのは、大事なことかもしれません。

 

3,4歳のころ、第一反抗期を迎えた幼児は、何にでも「いや!」って言います。

 

なぜかというと、子どもにとって「いやだ」と表明することは、自分が自分であるための 第一歩なのです。

 

自分自身の「嫌だ」と言う気持ちを、自分だけは分かってやりませんか?

 

2019年01月09日

正しさ争いは不毛(1/16改稿、動画あり)

(1/16改稿)

人と人が争うとき、お互いの意見が違うときに争うことが多いようです。

 

お互いに正しいと思っていることが違っているのです。

 

「これが正しくて、これが間違っている」とジャッジするのは、一つの価値観です。この価値観のめがねのことを「認知のめがね」と呼びます。

 

一つの「認知のめがね」の「善悪」判断にこだわるとよろしくないということを、アドラー心理学では経験則として知っています。

 

あらゆる人間関係は二者関係で、二者の価値観が違った時によく起こしてしまうのが、いさかいです。(まあ、われわれは価値観が違ってもいさかいませんが)

 

「これが正しい。」「いや、こっちが正しい。」とあまりにも主張し過ぎると、ケンカになります。そして、その善悪の争いの行きつくところが戦争です。

 

あらゆる戦争は、正義の戦いです。「鬼畜米英」だし「リメンバーパールハーバー」なのです。

 

つまり、「何が正しくて、何が間違っているか」という物差しは、争いのための物差し、戦いのための物差しなのです。

 

人間関係も、「何が正しくて、何が間違っているか」に、こだわりすぎると闘争的、競争的、支配的なたての人間関係になりやすいのです。

 

それよりも、みんなが仲良くしていくための「感覚」の方が大事だと思うのです。※これをアドラー心理学では「共同体感覚」と呼びます。

 

「私はこれが正しいと思うけど、相手は違うと言う。じゃあ、どうしたら仲良くやって行けるかな?」という感覚で、「どっちが正しいなんてどうでもいいや」という感覚て、考える、話し合う、協力し合うということを私たちは重要視するのです。

 

そうすると、何が正しいかなんてどうでもよくなって、「あれ、私は今、何がしたいのかな?」ということが重要になってきて、相手がしたいことと、自分のしたいことを両方実現するためにはどうすればいいんだろう?という方向性になっていくと思うのです。

 

私たちは あらゆる人と仲良く協力し合う人間関係を構築したいのです。

 

だから、単に意見を交換して、相手の意見が例え自分の意見と正反対でも、尊重して受け入れます。

 

もちろん、自分の意見も大事にします。

 

正しさ争いする必要性を感じていません。

 

そんなことより、仮に正反対の意見を持つ人間がいたとして、いかにして、お互い傷つけ合わないで、うまくやっていくかに、知恵とエネルギーを注ぎたいのです。

 

そして、自分の行動を決めるときも、「何が正しくて、何が間違っているか?」という」物差しはあまり使いません。

 

「私は何がしたいのかな?」という物差しを使い、「お互いに自分のしたいことをしたり、お互いに助け合うにはどうしたらいいのかな?」と考えて、行動していくのです。

2019年01月08日

今できること と 夢想と不満とあきらめと

多くの人が、「今自分にできること」をしないで、叶いもしないことを夢想したり、周囲に不満を持ったり、どうせだめだとあきらめたりします。

 

可能なことをしていけば、大きな目標も叶うかもしれないのに、

 

多くの人が、目の前の当たり前の可能なことをしようとしません。

やればできることが沢山あります。

 

その、やればできることを、コツコツと積み上げて、やり続ければ、大きな目標に近づいて、達成できるのに。

 

それなのに、多くの人は、自分にはなくて人にはあるものを羨み、自分の境遇を嘆き、できることをしようとせずに、

不可能な夢を見ます。

 

目の前の出来ることをやるしか、道はないのに。

 

自分が持ってないもののことは忘れて、自分の持っているものをどう使ってコツコツと行動していくかを考えた方が早いし、それしかないのです。

 

あなたの目の前に、今何がありますか?

 

あなたに今できることは何ですか?

 

それをしますか?しませんか?

 

出来るか出来ないかではないのです。できることを するか しないか なのです。

2019年01月08日

「刹那的な快楽」と「幸せ」は違います

「刹那的な快楽」と「幸せ」は違います。

 

例えば、不倫や浮気をすると、刹那的な快楽は感じるかもしれませんが、やたらと不幸になります。

 

思うように会えない苦しみとか、相手の心が信じられなくなってくる苦しみとか、相手の配偶者に対する嫉妬の苦しみとか、もしかしたら別の異性ともそういう関係になっているのではなかろうかという嫉妬の苦しみも感じますし、

 

大事な人との信頼関係を壊す行為をしていますので、「愛」が壊れます。愛は、信頼関係の中にしかないからです。

 

不倫や浮気をしながら、幸せな満ち足りた気持ちになったり、幸せを感じたりは絶対にしません。無理なことです。

 

アドラーは、人生の課題(タスク)、つまり、人生を生きていく上で解決していかなければ生きていけない課題として、三つの課題を挙げました。

 

ビジネスタスク(仕事の課題)

交友のタスク(いろいろな人との交友関係の課題)

loveタスク(愛の課題 家族=運命共同体の課題)

の三つです。(現代アドラー心理学では、このほか「セルフタスク」と「スピリチュアルタスク」があります。)

 

◎ビジネスタスクというのは、生きていくために仕事をこなしていくという課題です。

子どもにとっては、学校に行くことも仕事の課題です。

別名、生きていくための課題とも言います。

 

◎交友の課題というのは、どのような人とも、友だちのように親しく分け隔てなく付き合っていくという課題です。これを、フレンドシップタスクというのです。

人間を、敵と味方に分けて考えているようだったら、まだ、フレンドシップタスクが不全なのです。

 

◎loveタスク=愛の課題というのは、配偶者や配偶者を予定しているセックスパートナーとの関係です。

一緒に子どもを作って、死ぬまで一緒の家庭を作って、共同して生活していきます。(同性愛の方の場合や子どもができなかった夫婦の場合は子どもは作らないかもしれませんが、家庭を作り、維持していくことには変わりありません。)

ですから、子どもと親の関係も愛の課題です。兄弟との関係も愛の課題です。配偶者の兄弟との関係も愛の課題です。配偶者の親との関係も愛の課題です。運命共同体としてうまくやっていくと、愛の課題がクリアされます。

愛の課題は、運命共同体の課題なのです。だから、一番難しいのです。

 

不倫や浮気は、愛の課題を破壊します。

 

恋愛感情や愛は、愛の課題で使う感情です。不倫や浮気では、この大事な愛の課題での感情を不適切な相手に使うという誤用をしてしまいます。

 

キャバクラ嬢やホストさんたちが、相手に恋愛感情を抱かせて、お金をたくさん貢がせるのも、この感情を利用しているのです。誤用させられているのです。
愛の課題では、運命共同体ですから、相手のためならいくらお金を使ってもいいと感じます。
だから、私たちは、配偶者にたくさん貢献したくなったり、子どものために莫大な教育費を出したくなるのです。何とか詐欺で、おじいちゃんが孫のために何百万も出してしまうのも、愛の課題の感情を利用されているのです。

 

もちろん、配偶者と離婚して、新しく相手と結婚したら、それは、立派な愛の課題です。

しかし、不倫や浮気の段階は、それは誤用であり、不幸せは続くのです。

 

ましてや、離婚するつもりもないし、相手と結婚する可能性はないという不毛な不倫や浮気は、不幸せを生み出すだけです。

 

「刹那的な快楽」と「幸せ」は違うのです。

 

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