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本郷の一言2019年01月09日
正しさ争いは不毛(1/16改稿、動画あり)(1/16改稿)
お互いに正しいと思っていることが違っているのです。
「これが正しくて、これが間違っている」とジャッジするのは、一つの価値観です。この価値観のめがねのことを「認知のめがね」と呼びます。
一つの「認知のめがね」の「善悪」判断にこだわるとよろしくないということを、アドラー心理学では経験則として知っています。
あらゆる人間関係は二者関係で、二者の価値観が違った時によく起こしてしまうのが、いさかいです。(まあ、われわれは価値観が違ってもいさかいませんが)
「これが正しい。」「いや、こっちが正しい。」とあまりにも主張し過ぎると、ケンカになります。そして、その善悪の争いの行きつくところが戦争です。
あらゆる戦争は、正義の戦いです。「鬼畜米英」だし「リメンバーパールハーバー」なのです。
つまり、「何が正しくて、何が間違っているか」という物差しは、争いのための物差し、戦いのための物差しなのです。
人間関係も、「何が正しくて、何が間違っているか」に、こだわりすぎると闘争的、競争的、支配的なたての人間関係になりやすいのです。
それよりも、みんなが仲良くしていくための「感覚」の方が大事だと思うのです。※これをアドラー心理学では「共同体感覚」と呼びます。
「私はこれが正しいと思うけど、相手は違うと言う。じゃあ、どうしたら仲良くやって行けるかな?」という感覚で、「どっちが正しいなんてどうでもいいや」という感覚て、考える、話し合う、協力し合うということを私たちは重要視するのです。
そうすると、何が正しいかなんてどうでもよくなって、「あれ、私は今、何がしたいのかな?」ということが重要になってきて、相手がしたいことと、自分のしたいことを両方実現するためにはどうすればいいんだろう?という方向性になっていくと思うのです。
私たちは あらゆる人と仲良く協力し合う人間関係を構築したいのです。
だから、単に意見を交換して、相手の意見が例え自分の意見と正反対でも、尊重して受け入れます。
もちろん、自分の意見も大事にします。
正しさ争いする必要性を感じていません。
そんなことより、仮に正反対の意見を持つ人間がいたとして、いかにして、お互い傷つけ合わないで、うまくやっていくかに、知恵とエネルギーを注ぎたいのです。
そして、自分の行動を決めるときも、「何が正しくて、何が間違っているか?」という」物差しはあまり使いません。
「私は何がしたいのかな?」という物差しを使い、「お互いに自分のしたいことをしたり、お互いに助け合うにはどうしたらいいのかな?」と考えて、行動していくのです。
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