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本郷の一言

「熊本こころ相談室」の本郷ひろなか先生が心理学に関する話題を随時更新します

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「熊本こころ相談室」にてチーフカウンセラーを務める本郷ひろなか先生は熊本市内各所で開催しているアドラー心理学や心理カウンセリングに関する講演やセミナーで講師を担当、アルフレッド・アドラーの孫弟子にあたるジョセフ・ペリグリーノ博士からは「私の大事な友人にして弟子であるヒロよ。」と呼ばれる程の絶大な信頼を寄せられているアドラー心理学者のひとりです。本ページでは機能不全家庭で過ごし心理的虐待を受け続けた過去から自ら立ち直った経験のある本郷ひろなか先生が、同じく様々な問題や悩みを抱え苦しんでいる方たちのための一言を綴っていきます。
アドラー心理学にご興味をお持ちの方や鬱 (うつ) 、パニック障害、不登校、引きこもり等で心理カウンセリングをご希望の方は「熊本こころ相談室」までお気軽にお問い合わせくださいませ。

2017年01月31日

本郷ひろなかの「嫌われる勇気」解説10 競争の枠組み

アドレリアン本郷ひろなかの「嫌われる勇気」解説 第10回目です。 競争の枠組み

 

他者と比べたり、競争したり、戦ったりしている間は、人は幸せにはなりません。

 

私たちアドレリアンは、「この世は、人びとが協力し合って助け合って成り立っている世界だ。」というコモンセンス(共通感覚)を持っています。

 

原始時代は、何でも村人が協力して行っていました。釣りくらいは一人でできたでしょうが、大きな獲物を狩りに行くときとか、村人の家を建てる時などは、村人が協力して事に当たったはずです。

 

釣りでも、何もかも最初から一人でというのは無理でしょう。

 

竿や釣り糸や釣り針の作り方、道具の使い方、沼や川や海で釣る時のコツなど、最初は誰かに教わったはずです。これも協力です。

 

現代の複雑な社会もそうです。全部を一人でやってしまうなど絶対に無理です。

 

ものすごい種類の職業や役割を分担して、お互いに助け合ってこの複雑な社会を維持しています。

 

この世は助け合う場だし、他者は助け合う仲間です。

 

この共通感覚の現実に合致する意味づけ=思い込みを持っていると健全であり、幸せを感じることが出来るのです。

 

ところが、「この世は競争だ」「この世は戦いだ」「他者は競争相手だ」という意味付け=思い込みは、共通感覚と大きくずれるので問題です。

 

競争や勝ち負けがあるのは、ゲームの中だけです。

 

ゲームの特徴は、ルールと時間や空間の制限があることです。

 

例えば、ジャンケンは、「パーがグーより強くて、チョキがパーより強くて、グーがチョキより強い」というルールがあって成り立ちます。

 

「俺のパーはグーよりも強いんだぜ」と言い出したら、ジャンケンの勝負は成り立ちません。

 

将棋、野球、ラクビー、相撲、100メートル走などなど、ルールがあって、みんながそれを守って初めて、競争や勝負が成り立ちます。

 

人生には、ルールも制限もありません。だから、競争も勝ち負けも成り立ちません。

 

協力と助け合いがあるだけなのです。

 

昔の私もそうでしたが、ゲームでもないのに競争意識や勝ち負けを意識する人がいます。

 

そうすると、未来の理想との間に感じる純粋な劣等感ではなくなって、苦しい劣等感になることがあるのです。

 

そして、中には、苦しい劣等感をごまかすために、自慢をして、競争で勝ったような気になるのです。

 

本当に自分に自信がある人は、競争していないで、ありのままの自分(劣等感込みで)を受け入れてますから、自慢をする必要はありません。

 

自慢をして、優等コンプレックスを振り回すのは、競争の枠組みの中に生きていて、優等コンプレックスを振り回すことで、苦しい劣等感をごまかそうとしているのです。

 

競争の枠組みは、勝ち続けるといいように思えるかもしれませんが、いつかは負けるし、負ける不安などもあるし、多くは勇気をくじかれるし、トラブルも多いので、あまりお勧めしません。

 

だから、p95で、哲人は、「対人関係の軸に競争があると、人は対人関係の悩みから逃れられず、不幸から逃れることはできません。」と言っているのです。

2017年01月30日

本郷ひろなかの「嫌われる勇気」解説9 劣等コンプレック

アドレリアン本郷ひろなかの「嫌われる勇気」解説の第9回です。 劣等婚コンプレック

 

さて、本来の劣等感は、「より良くなりたい」という優越性の追求の副産物なのです。

 

未来の理想に対する欠乏感にしかすぎませんので、健康なものです。

 

自分がこの健康な劣等感を持っていることを認めることで、自己勇気づけになります。ありのままに認めることは勇気づけになるのです。

 

私たちは、勇気が十分にあれば、劣等感をばねにして、努力したり、建設的な行動を、特に当たり前の行動をコツコツととることが出来ます。

 

ところが、そこに、他者との競争や、比較が入って来ると変質します。

 

勇気がくじかれることがあるのです。

 

他者と比べて、自分ってダメだなあと思ってしまうと、勇気がくじかれます。

 

ましてや、他者からのダメ出しを自分が受け入れてしまったら、盛大に勇気をくじかれます。

 

そして勇気をくじかれた人は、一歩を踏み出すことをしなくなります。

 

そして、「自分が何をやってもダメに決まっているや。」とふてくされて、努力、行動することをやめてしまうのです。

 

そして、「やる気が起きないから」と「やる気」のせいにしたりします。やる気は自分が作り出して使っているのにです。

 

勇気がくじかれているので、「ダメに決まっている」と決めつけて、努力、行動をしないという目的ののために「やる気が出ない」という状態を自分が作っているのです。

 

私の中に「やる気」という動物は住んでいません。

 

あらゆる感情・感覚などの精神作用は、本人がある目的のために作り出し使っています。

 

多くの人は、自分のこの作戦になかなか気づきません。

 

自分がやっている作戦ということに気づかずに、「気分」のせいや、「感情に襲われる」などと感じて、気分や感情に責任転嫁するすることすらも、作戦の中に入っているからです。

 

ライフスタイルはそれ自体で完結しているので、自分一人で変えようとすると失敗します。

 

替えようとするときに、自分の古いライフスタイルを使って考え行動してしますんで、「変えないように」「変えないように」努力してしまうからです。

 

アドラー派のカウンセラーと話すという鏡を使って、自分の目的、作戦に気づきましょう。

 

「自分が何をやってもダメに決まっているや。」とふてくされて、努力、行動することをやめてしまった人は、やめるだけでなく、劣等感を言い訳に使います。

 

これを劣等コンプレックスと言います。

 

「コンプレックス」という言葉と概念は、ユングが作りました。心の中であることに関する思いが複雑になってこんがらがっているものをコンプレックスと名づけました。

 

フロイトも使って「エディプスコンプレックス」などと使いました。

 

言い訳をしないで、出来る当たり前のことをコツコツと行動する人が精神的に健康な人です。

 

精神的に健康な人は勇気にあふれています。

 

だから、劣等コンプレックスを、克服して、健康的な劣等感の克服に向かうための秘策が、勇気づけなのです。

 

アドラー心理学が勇気づけに始まり、勇気づけに終わると言われるように、自分を勇気づけ、他者も勇気づけることはとても大事です。

 

勇気づけの大きなコツは、「ありのままに受け入れること」と、結果なんかどうでもよくて、途中のプロセスや努力や姿勢を評価するということです。

 

結果ばかりに執着すると、特にうまく行かないときにやる気を失います。「うまく行かないかもしれない」と最初から勇気がくじかれた状態になるかもしれません。

 

結果なんかどうでもいいのです。失敗してもいいのです。失敗は宝物です。失敗を避けようとすると「行動しない」「チャレンジしない」のが一番いいということになりかねません。

 

結果主義から早く脱却して、プロセス主義に自分を改造しましょう。

 

成功率2分の1の人がいたとします。

 

一回挑戦して失敗して、劣等コンプレックスを使って、「私はダメなんだ」と言い訳をして、もう挑戦しなかったとします。彼は、失敗しただけで終わります。

 

成功率10分の1の人は、豊富な勇気とあきらめない心を持っていました。9回失敗しても、チャレンジする勇気を失いませんでした。

 

そして、10回目に成功します。

 

成功率が単純に能力だとして、あきらめない勇気さえあれば、どうにかなると思いませんか?
能力よりも勇気とやる気と根気の方が大きいのです。

 

劣等コンプレックスを勇気づけで乗り越えましょう。

 

ちなみに、「見かけの因果律」は、過去の環境や現在の環境のようなただの「影響」を、全てを決める「原因」だと思い込むことによって成立します。原因決定論のなせる業なのです。

 

原因が決定したりしません。決定するのは人間です。

 

いくら影響があると言って、それに対抗して行動して、環境を変えて行く力が人間にあると、私たちは信じているのです。

 

2017年01月28日

本郷ひろなかの「嫌われる勇気」解説8 すべての悩みは対人関係の悩みである

アドレリアン本郷ひろなかの「嫌われる勇気」解説 第8回 全ての悩みは対人関係の悩みである

 

そうなのです、アドラー心理学は、個人(アドラー心理学では一人一人の人間をさすときに「個人」と称します。)は、全体でひとまとまりのもので、部分に分割することなど出来ない存在と考えているので、

 

個人内には葛藤はない、その人が葛藤のように感じているのは全て自分がやっている自作自演の「イエス、バット」であると考えています。

 

しかし、対人関係の葛藤は当然あります。個人は一人一人別の存在だからです。別の存在として動き回りますから、当然葛藤が起こるわけです。

 

哲人が言っているように「孤独」という悩みも、「人というものは当然、多くの人と仲良く交流するものだ。」という前提があった生じる悩みです。

 

ですから、「孤独」も対人関係上の悩みなわけです。

 

多くの人は、人と比べて劣等感を感じます。P73からの「劣等感は主観的な思い込み」の中で、哲人はそのことを説明しています。

 

人と比べて感じた劣等感の悩みは、対人関係の悩みな訳です。

 

ところが実は、アドラーが言った劣等感は、p79の「優越性の追求」を通して説明してあるように、未来の理想の自分と現状を比較したうえで感じる劣等感のことなのです。

 

人は誰でも、何歳になっても、「より良くなりたい」と感じています。優越性の追求です。

 

人間は、いつどこでも、よりよくなりたいと願っています。「青年」もそうです。彼は、よりよくなりたいがために哲人の所を訪れるのです。

 

「俺はこんなところで終わるイヌじゃないワン。」と主張する犬はいません。

 

「今に見てろよ。」と努力する猫もいません。

 

しかし、人間は違います。グレたり、勇気を失ってダメになったりするのも、優越性の追求がうまく行かないと思ったからであって、優越性の追求はしたいわけです。

 

「より良くなりたい」という優越性の追求こそが人間を人間たらしめている、根源的な欲求なのです。

 

さあ。そして、優越性の追求の副産物として、必ず出現するのが「劣等感」です。

 

「今よりも良い良くなりたい」という理想を未来に持ってしまうために、必ず、現状には欠乏感を感じてしまうのです。

 

これが「劣等感」です。

 

劣等感は宝物です。

 

劣等感を克服していく努力をしていく限り、われわれは成長して行けるのです。

 

この劣等感が、他者との比較のうえで感じる劣等感とは根本的に違うのに注目してください。

 

他者との比較競争意識が入ってくると、本来の劣等感を変質させていしまうのです。

 

 

2017年01月23日

本郷ひろなかの「嫌われる勇気」解説7 なぜ、自分のことが嫌いなのか?

アドレリアン本郷ひろなかの「嫌われる勇気」解説 第7回目です。

 

なぜ顔が赤くなるのか?

 

アドラー心理学にとって、「なぜ」という問いかけは、目的を探すことです。赤面症の目的を探すのです。

 

好きな人に告白しないことを、赤面症のせいにしていると、「赤面症さえ治ったら、私だって、、、」と可能性の中に生きることが出来ます。

 

自分に責任をもって、自分で決めて、自分で行動しないで、夢想の中に生きることが出来るのです。

 

本当は、「告白して断られたらいやだ」と強く思い、断られることを強く恐れ、赤面症という症状を作りあげ、その症状のせいにして告白しないことで、断られる可能性を、振られる可能性をつぶしているのです。

 

だから、彼女にとって赤面症は必要なのです。その作戦の中で役に立っているのです。

 

恐れているモノを避けるのに一番良い方法は、行動しないことです。

 

その症状は、「何を恐れて」、「どのように行動しない」ために作っているのか?と問いかけると、症状の目的が分かるのです。

 

症状の目的が分かったら、症状を直す必要はありません。症状を含めて、今の自分を認めて、勇気をもって、自分の責任で行動していくだけです。

 

あなたならできる。

 

なぜ自分のことを嫌いなのか?

 

何を恐れ、どのように行動しないために、自分のことを嫌いでいるのか?と問いかけるのです。

 

すると、哲人が言ったように「他者から嫌われ、対人関係で傷つくことを恐れ」て、他者とあまりかかわらないようにするために、自分の短所にばかり目を向けて、自分を嫌いでいるのです。

 

必要なのは、現状、自分のことを嫌いなことを含めて自分を認め、勇気を持つことなのです。

 

対人関係で傷つくことを恐れているということは、ライフスタイルの中では「他者を敵だ」「この世は危険なところだ」と思い込んでいる可能性があります。

 

哲人に対して、最初から挑戦的でしたしね。戦おう、戦おうとしていました。

 

この「他者は敵だ」という思い込みを「他者は仲間だ」に変えようとすると、彼は楽になっていくでしょう。

 

その結果、自分のことを嫌いになる必要性もなくなると思います。

2017年01月22日

本郷ひろなかの「嫌われる勇気」解説6 自分を責めないで

本郷ひろなかの「嫌われる勇気」解説 第6回目です。「自分を責めないで」

 

P56で、青年が「トラウマなど存在しないし、環境なんか関係ない。何もかもが身から出た錆なのであって、お前の不幸は全てお前のせいだ。」と断罪された気になる、と言っていますが、

 

アドラー心理学に、本人を責めたり、断罪したりする意図は全くありませんし、勇気づけに始まって勇気づけに終わる心理学なので、逆に「自分を責める必要はないよ」と語りかけます。

 

トラウマと人々が呼ぶような記憶がないと言っているのではなく、「トラウマに残るような経験」が原因だという決定論を否定しているだけです。でも経験の影響までも否定していませんし、環境も「関係ない」とまでは思っていません。

 

環境の影響はあると思っています。だからこその「やわらかい決定論」なのです。

 

ましてや、子どもの頃は環境に対して比較的無力な場合が多く、「ライフスタイルはお前が子どもの頃選択したのだから、お前が悪い」だなんて、これっぽっちも思っていません。

 

むしろ、子どもの頃、生育環境を目の前にして、そういうライフスタイルを選択・決定したのは仕方ないと思っています。

 

だから、どんなライフスタイルを選択してきたとしても、あなたは自分を責める必要はないのです。

 

でも、自分で選択・決定したのだから、「今から」変えて行くことが出来るよ。という未来への希望を語っているのです。

 

人間の自由選択と自己決定を重視する、つまり自己責任だと思っているのです。

 

自己責任の責任という言葉の意味を、日本人は悪いから責めることだと勘違いしているようですが、「責任」という言葉は「responsibility」の翻訳語で、悪いから責めるというニュアンスは全くありません。

 

責任は、本来「自由に反応し続ける」という意味なのです。あなたは自由に反応し続けることが出来て、今からライフスタイルを変えて、幸せになっていくことが出来るよと言っているのです。

 

だから、哲人は、「今ここ」で決まると言っているのです。過去などもう無いのだから。

 

自分を責めないで。

 

今の自分を受け入れましょう。

 

そして、未来に向かって、「今ここ」から、ライフスタイルを変えて行こうと希望に向かいましょう。

 

あなたならできます。

 

私たちはそう思っています。

 

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