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本郷の一言2020年01月25日
機能不全家庭機能不全家庭出身のクライエントさんと話していて、私自身がカウンセリングを受けたときのことを思い出しました。
カウンセリングを初めて受けたのは35歳くらいの時だったでしょうか?酒乱で定期的に暴れる父親とそれを共依存的に支えていながら被害者を装っていた母親という出身家庭の中で、私は生きてきました。地獄のような苦しみのなかで、その地獄から抜け出すことはできないと思いこんでいました。
だから、妻を説得して同居に持ち込んでいきました。今考えると、最初から別居しておけば良かったのですが、当時はそんなこと考えられませんでした。親とは同居するものだと思っていました。まあ、父親に洗脳されていたのですね。あんなにひどい親だったのに。(別に親に対する愛情はなくしていませんが、ひどい扱いを受けたことは否定できないので)
同居した当初、父と約束しました。「飲んでも暴れない」って。まあ、無理な約束だったのですが。しばらくは我慢していた父が、定期的に暴れ出しました。
ごくまともな家庭で育った妻はびっくりしたそうです。「私をだましたわね。」とも言われました。結婚する前に、というか同居する前にも、「うちの家庭はねえ、父親が酒乱で定期的に暴れるんだよー。暴言で周りの人全員を傷つけるし、ものは壊すし、暴力もふるうし」なんて話さなかったからです。
でも、妻はこうも言いました。「中に入ってみなきゃ、絶対に分からない世界よね。」
そうです。酒害の家庭、あるいは酒害でなくても機能不全家庭(虐待とかネグレストなどのはびこっている家庭、DVは振るわれる方への虐待でもありますが、それを子どもに見せるとうことは子どもへの虐待でもあります。)のことは、その家庭の中へ入ってみないと分かりません。
体験したことのない人には分からない地獄の世界です。
暴れた後、最初は「すまん、こうすけ。もう二度と暴れないから」と謝っていた父は、そのうちに開き直り出しました。「俺の機嫌を悪くする、おまえたちが悪い!」(今なら、「あのー、あなたの機嫌はあなたのもので、私たちとは何ら関係ありませんからー。」と言うのですが。)と言って。
で、気持ちよく定期的に暴れて、私たち夫婦を侮辱し、かつ暴力も振るいました。
子どもの頃の地獄の再現でした。
私は妻に言ったのです。「おまえは子どもを連れて実家に帰れ。俺は、あいつを殺して言えに火をつけるから。」って。 そしたら、妻が言うのです。「そんなことするぐらいならば、カウンセリングでも受けようよ。お金使おうよ。何とかなるかもしれないじゃん。」って。
カウンセラーと話す中で、徐々に出身家庭からの洗脳が解けていきました。丁寧に表現すると出身家庭のひどい環境の中で自分を守るために子どもだった私必死に身につけてきた作戦のことが分かってきて、大人になった私用の作戦に変えていったのです。
当時はそのことが魔法のように感じていましたが、今各種の心理学やカウンセリングを学んで実践してきた体験から考えると当然だったのですね。
ある程度の腕のあるカウンセラー(私くらいの 笑)とセッションを持てば、出身家庭というきわめて狭い世界の中で作られた思いこみや歪んだものの見方は、ゆるんでいきます。急速に楽になっていきます。
当時の私も、「親とは同居するものだ」とか「親から受けた恩は返さないといけない」とか「自分はつまらない存在だ」(よく酔った父親から「おまえが今まで何か立派にやり遂げたことがあるか!!ないだろう。」と罵倒されていましたから、それを真に受けていたのですね。)いう歪んだ思いこみから開放されて、天国を見た思いになっていました。
で、すっと楽になって、父親と大げんかをして同居を解消して、別居することになったのです。
当時のカウンセラーさんには悪いけど、今の私が当時の私のカウンセラーをしていたら、あんな大げんかをさせずに同じ別居という結果に軟着陸させたと思うなあ。
それにしても、カウンセリング料金も高すぎたなー。12回で30万円というのはちょっと……。まあ、腕はよかったですけどね。当時は他のカウンセラーを知らなかったし、カウンセリング料金というものがだいたいいくらくらいなのか知らなかったから。まあ、いろいろあるかもしれませんが、普通一回60分一万円前後~6000円程度でしょう。※3000円などとあまりに安いのも、カウンセラーは十分な研修を積んでいないでしょう。
とにかく、カウンセリングでの支えがあって別居できたのは確かでした。家を出て行くときには今まで白黒に見えていた世界が一挙にカラーで見え始めていたのを覚えています。
別居した後も、AC(アダルトチャイルド)であった私はいろんな苦難に見舞われます。まあ、不幸せになる癖を山ほど持っていましたから。
アドラー心理学に出会った私は、それを徐々に幸せになるくせに変えていきました。
まだまだ不完全だけど(と言うか、人間って死ぬまで不完全かもしれないけど)、いろんな課題を克服して行っている途中かな?
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