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本郷の一言2015年10月22日
劣等コンプレックス劣等感は、上手く向き合って、それを乗り越えて自分の理想を達成していけば、とてもいい道具になるのですが、
いい道具として使えないことがあります。
まず、劣等コンプレックスとして使ってしまうことです。
劣等コンプレックスとは、劣等感を振りかざすことで、自分が解決すべき人生の課題から逃げることです。
たとえば、「私は、こんなに弱いんだもの。どうか、ご容赦ください。どうか、助けてください。」とか「俺一人じゃダメなんだから、誰かが俺を助けるべきだ。奉仕すべきだ。」などと自分では人生に立ち向かわないで、逃げて逃避したり、他者の力を利用しようとします。
自分の劣等感を誇張して、実際以上に欠陥がひどく弱いと主張して、人生の様々な課題への建設的な行動努力を避けようとするのです。
「今日は一日大変だったんで、飲みに行くの勘弁してください」などと言うような小さな劣等コンプレックスはだれでも使うし、問題はありません。
問題は、人生の重要な局面で劣等コンプレックスを使ったり、いつも劣等コンプレックスを人生目標追求の手段としている場合なのです。
劣等コンプレックスを常習的に使う人には次のような特徴のうちいくつかを持っていることが多いようです。 ・自己不全感が高い 自己評価が異常に低い。 ・自分への要求水準が異常に高い。 ・だから、理想への不一致感、劣等感が異常に大きすぎる。 ・挫折している 勇気をくじかれて、現実から理想の方向の建設的な方法が思いつかない。 ・そんな自分を恥じている:「罪悪感」とは責任逃れの感情です。 ・「人生の嘘」…劣等性を周囲に見せびらかして、自分のみじめな状態は自分のせいではないと主張する。責任逃れの言い訳を人生の嘘と言います。 ・「自己欺瞞」…自分のみじめな状態は劣等感のせいだと思いこむ。自分を騙しているのです。 ・「依存性」…自分の人生課題を他人に解決させようとする。自分では出来ないと決めつけて他者にお任せしてしまうのです。 ・「攻撃性」…どうして助けてくれないんだよと人を責める。
自分の現状をありのままに受け入れようとしないから、自己不全感が過ぎてしまいますし、自己評価が異常に低すぎるのです。
自分への要求水準が高すぎるから、課題から逃げてしまうことになるのです。自分で解決可能な要求水準に落とす必要があります。
適度な要求水準に落とすと、克服する意欲が湧く程度に劣等感が小さくなり、劣等感を克服しようという意欲が出てきます。
「失敗することがダメだ」と思い込んでいると、ちょっとの失敗・挫折で心折れてしまい、勇気がくじかれます。失敗・挫折をチャレンジの証、再出発のきっかけと捉えれば、挫折しにくくなります。
自分のみに起こること全ては、自分で責任を取ることが出来ます。自分で責任を取った方がいいのです。責任を取るというのは、最後まで面倒を見るということです。自分を責めるということではありません。
責任を取るということは、責任転嫁をしないということです。「あいつのせいだ。」「親の育て方が悪かったせいだ。」「社会が悪い。」と自分以外のもののせいに言い逃れると、
自分の課題として自分で立ち向かって、努力して劣等感を克服していく意欲は出てこないでしょう。
すると、逃げるしかありません。だから、劣等コンプレックスを振り回して、逃げるのです。
たとえ劣等感があったとしても、それを乗り越えていけるのは自分だけなのですが、「劣等感を覚えること」のせいで自分はみじめな状態にいるのだ。と自分を騙すことで、乗り越えていこうとしない方向に流れていくのです。
そうすると、他者の力をゲットするための方策として、「依存」と「攻撃による奪取」という二つの道があるのです。
自分の力で劣等感を乗りこえないで、誰かに甘えてやってもらう(依存)、「なんでやってくれないんだよ」と攻撃して、奉仕を奪取する(攻撃)のです。
自己欺瞞も、依存も、攻撃もやめて、建設的に劣等感を乗りこえていく方が幸せになれるのですが、そのためには勇気が必要です。
自分自身を勇気づけると、乗り越えるための勇気が湧いてきます。
そうすれば、劣等コンプレックスから離れることが出来るのです。
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