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本郷の一言

2020年04月18日

仏教(長老派)って、アドラー心理学に似ている。

仏教には、ブッダ直々ののお弟子さんたちの流れの「長老派」(昔、小乗仏教と呼んでいました)と、「長老派」の仏教を真似して作った「大乗仏教」の二つがあります。日本にわたってきた仏教は大乗仏教の方です。

 

実は、私の仏教に関して学習は、アドラー心理学よりもずっと早かったのです。

通学していた高校が仏教の高校でしたので、「宗教の時間」という授業がありました。他の生徒たちが嫌がっていた授業でしたが、私は、一番好きな授業でした。
仏教ってこんなに面白いんだと思ったのです。とても論理的で、理性的な宗教だったからです。

その後、原始仏教の本をあさり読み、パーリ語の古い仏典では、仏教徒が「ヴェーダの達人」を目指していたということを知りました。

次はヴェーダの方を読み漁り、と様々な学びになって行ったのですが、

そこら辺りは端折り、

長老派の仏教に戻ります。

長老派では、お釈迦様が大事にした、「慈」「悲」「喜」「捨」という四つの感情があります。

これは、たいしたもんです。

 

私が一番興味深かったのが、「捨」のこころです。

悪行に対して無関心であれ、関わるな!という教えだからです。

アドラー心理学でも、不適切な行動に対しては、負の注目も正の注目もするなと教えます。意味がないからです。

 

仏教でも同じ教えがあるのです。

 

「捨」の感情は、高校生の頃から大好きな感情でした。そうありたいと思ってきました。そんな自分が同じ教えを持つアドラー心理学に引かれたのは必然だったのかも知れません。

 

アドラー心理学では、「慈」をフレンドシップタスク、「悲」を共同体感覚、「喜」を勇気づけ、「捨」を不適切な行動には注目しない と表現します。

いずれも重要な要素です。

 

長老派では、スマナサーラ師が「慈」「悲」「喜」「捨」につて、次のように説明してらっしゃいます。

 

まず第一の慈の心についてお話しましょう。

慈とは日本では慈(いつく)しみの感情を表しますが、慈しみというよりはむしろ友情にちかい感情と思ったほうがいいでしょう。

みんな仲良くしましようという感情です。

ひとりで食べるごはんより、二人、三人でいっしょに食事をしたほうが楽しいし美味(おい)しいでしょう。

その感情なのです。

大勢の人と仲良くしたい、みんなで楽しく暮らしたいと思う感情、それが慈の意味です。

 

二番目の悲は哀(憐)れみの感情です。

日本流に言えば憐憫の感情とでも言いましょうか。

悲しんでいる人を助けてあげたい、苦しみの渦中にある人を救ってあげたいと思う感情です。

だれかが困っていればすぐ助けに行ってあげる、そのときの助けに行く自分は気持がいいはずです。

阪神大震災のときも日本中の人々が何とかしてあげたいと立ちあがりました。

日本中が“悲”の感情で満たされましたが、それはすばらしい(みんなが助けあいたいという感情が溢れたということの意味においてです)ことでした。

これまで忘れすてにしてきた感情を取りもどしたのです。

あの、被災者を助けてあげたいという感情をいつまでも忘れないでほしいものです。それは人間であればいつも必要な感情なのです。

この必要な感情を心のなかに育てていく方法を冥想によって完成させてほしいものです。

 

三番目の喜はともに喜ぶ感情です。

人が幸福になって喜んでいるとき、自分もそれを見てともに喜べる感情です。

しかしながらふだん私たちは、自分の回りのだれかが仕事が上手くいったり、人が大金を手に入れたり、ライバルが美人の恋人を持ったりするとすなおには喜べず、嫉妬という感情に苦しめられます。

この嫉妬という感情は恐ろしいものですから、なるべく持たないほうがいいので、それだからこそ人が成功したならば、「ああ、よかった、よかった」と万歳でもできるような喜ぶ感情を抱けるよう、冥想法によって心を鍛えてほしいものです。

 

最後の四番目の捨は捨てると書いて捨(しゃ)と読むので意味が結びつかないようですが、平等で冷静な感情を表します。

人間はどんな物ごとに対してもいろいろな感情を抱くものですが、捨はその感情に流されないよう戒め、生命のすべてを見極める心のことです。

人間は、しょっちゅう怒っていたり、悪いことばかりしていたりする人が多いのですが、そういう人たちに翻弄され自分もいっしょになってともに怒ったり、苦しんでいたんではたまりません。

世の中には様々な人がいることは事実ですが、それらを放っておくことも大切なのです。

例えば、この世界にはさまざまな不平等がありますがそれをいちいち怒っていても仕方がありません。

悪人がはびこっていても、その悪人をやっつけるというのではなくただ冷静な心になって平等に見守っている、それが捨の心なのです。

 

仏教の冥想の実践はこれら四つの感情をべつべつに育てることが目的です。

その感情は私たちが生まれついて持っていたものではありませんから、ピアノを練習するように冥想によってこの四つの感情を習得していく以外方法はないのです。

そのために「慈悲喜捨の冥想法」があるのです。

慈悲喜捨の四つの感情をはやく作るためには、どれかひとついま自分の持っている感情を優先して育てていけば、残りの感情も作りやすくなっていくものです。

仏教講義よりhttp://www.j-theravada.net/kogi/kogi5.html

熊本こころ相談室http://cocorosodan.jp/

 

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