○自我状態
TA(交流分析)というのは創始者のエリック・バーンが精神分析学会(フロイト派)から入会を拒否されたという経緯から独自に創った臨床心理学の一派です。
バーンはポール・フェダーン(自我心理学)やエリック・エリクソン(あの有名な発達段階説の)から教育分析を受けていました。
TA(交流分析)では、人間の自我状態を「親 P」「成人 A」「子ども C」の自我状態に分類して、自我状態の交流を分析します。
自我状態というのは、思考・感情・行動の一貫したもので、
「養育的な親 NP」
「批判的な親 CP」
「成人 A」
「反抗的な子ども RC」
「従順な子ども AC」
(前者二つを併せて「適応した子ども AC」と呼ぶ まあ、反抗するのも従順なのも、親的人物に対する反応という点においては一緒なのです。)
「自由な子ども(自然な子ども) FC」
「小さな教授」の七つに分類します。
七つの自我状態の中で「養育的な親」「成人」「自由な子ども」の三つを効果的な自我状態と呼び、この三つの自我状態を常に使うようになることを目指します。(派によっては違う解釈があります。)
私は「自我状態」というのは、過去の学習によって創り上げた「人間関係上の反応の一式」ととらえています。パターン化した行動一式だと。
バーンは自我状態のことを「感情と経験の首尾一貫したパターンと、直接それに対応する一定の行動パターンを伴うもの」と定義しています。
フロイト派の「自我」とTA(交流分析)の「自我状態」が全く別なものであることがわかりますね。TA(交流分析)の自我状態はアドラー心理学ととても相性がいいのです。(私の場合)
なぜならば、個人が「自我状態」を使用していると解釈すれば、うまく説明が付くからです。個人というのは、もちろんアドラー心理学的に人間を全体論的にとらえたときの「主体」のことです。
○ゲーム
バーンは、人間交流の中に人間同士の本音の親密な交流を阻む、パターン化された交流があることに気づきました。
これを「ゲーム」と呼び、真実に気づかない人々はこのゲームの繰り返しの中に生きていて、決して「本物」に気づかないと解釈した。
そしてバーンは、ゲームの分析に労を費やしました。これが交流分析の起こりです。
例えば、子どもが母親にわざとしかられるような行動をとります。母親も挑発されているのをわかっていながら結局は怒って叱ってしまいます。
これを子どもの側は「キック ミー」のゲームを行い、母親の側は「さあ、つかまえたぞこの野郎」のゲームを行った、と見なすのです。
この「キック、ミー」と「さあ、捕まえたぞこの野郎」の二つのゲームが、他のほとんどのゲームのもとです。
ゲームの当事者は、いつも自分がこのようなパターン化された行動をしてしまって、「あれ、またやってしまった。」と感じます。そして、一連のゲームが完了したとき、何とも言えない嫌な感情を覚えるのです。
幸せに生きるためには、ゲームではなくて、親密な本物の交流が必要なのです。
しかし、物事に直接直面する勇気を失った人々は、「親密な本物の交流」を恐れ、それを避けるために「ゲーム」を行います。
親密な交流からくる充実した感情の代わりに「嫌な感情」でもって偽の充実感を覚えるのです。
「ゲーム」は幸せになるには不適切な道具です。